3つの疑問点を考察しました。
カオナシの正体についてや、
途中の列車についてなどです。
ではまず1つ目から。
1.カオナシの正体は?
物語のキーパーソンの1人であるカオナシ。なかなかつかみどころのないキャラクターだったりします。
彼の正体は一体なんなのか、いくつか可能性を考えてみました。
①欲望のかたまり
中盤の彼は、自由にお金を生みだしそれで千尋の気を引こうとしますが、
そういった言動は、人間達の「欲望」を映し出しているようにも思えました。
②日本の霊のような存在
彼が物語に登場したシーンは薄暗い雨の当たる場所でひっそりとたたずんでいる状態でしたが、
その感じは、日本古来の霊の存在に近いかも!?
③自分を持たない存在
最初のやせ型だった彼と、途中で強欲になった彼では性格が豹変していましたが、
あれは「飲み込んだものによって性格が変わってしまう」特性があり、
逆を言えば、自分の個性をほとんど持たない存在なのかもしれません。
個人的には「③自分を持たない存在」という解釈がしっくりきます。
映画を観ていて
「突然カオナシが豹変した!」とビックリしましたし、
毒毛が無くなって、一緒に電車に乗車するのについていくシーンとか
「さっきまであんな危険だった奴と一緒に行って、千尋大丈夫なの!?」
「またさっきみたいに豹変しちゃったらまずいじゃん!」
とハラハラしながら見ていたのですが、
そんな展開にはならなかったのも、
「その後何者も飲み込まなかったから」
という部分が大きいと思いました。
リンが作中で
「あの人は油屋にいるからいけないの。あそこを出た方がいいんだよ。」と言っていましたが、
逆を言えば、「心優しい人達の中で暮らせば安心な人」
という意味にも取れましたので。
2.「海原の電車」の意味は?
水の中に浮かぶ不思議な電車。しかも、片道しか走っていないため普通は戻って来られないという
なんとも特殊なものでした。
あの列車って一体何だったのか、考えてみました。
①天国行きの列車だった
なぜ「片道しかない」のかを考えた時、天国に行く人達が乗るものだからと考えると自然な感じがします。
乗っている方々も、黒くて半透明な不思議な方々だったので
そういう雰囲気を感じ取ることもできます。
宮崎監督はこのシーンを
宮沢賢治さんの「銀河鉄道の夜」をイメージして作ったとおっしゃっており、
その作品で出てくる電車の乗客もまた、お亡くなりになった方々でしたので、
この可能性は高いと思われます。
②人間界に戻れなかった人を乗せている
「天国に行く」という考えと、少し似ているけれど違う可能性として、千尋のように神隠しにあったけど
結局人間界に戻れなかった人達が乗車する列車ということもあり得るかと思います。
終盤のシーンで
ハクが千尋に「絶対に振りむいちゃダメ」という旨のことを言っていますが、
もし振り向いていたら、彼女も黒くて半透明な存在になっていたかも!?
個人的な意見としては
「①天国行きの列車」ではないかと思いました。
千尋達は生きているので
そういう意味ではしっくりこないとも言えますが、
「②人間界に戻れなかった人達」という解釈だと
あまりにもあの世界が悲しすぎるので、
①であって欲しい!という願いを込めて。
3.なぜブタの中に両親がいないと分かった?
終盤のシーンで、12匹の豚が登場し、「この中から自分の両親を探せ」
という旨の問題を出されていましたが、
千尋が出した「この中にはいない」という答え(及び正解)を
なぜ導くことができたのか考えてみました。
①親子の絆
自分の家族だからこそ気付くことができたのかもしれません。もし、家族ほど関係性の強くない相手が豚になっていたとしたら
彼女は「分からない」という答えになっていた可能性もあるでしょう。
②生きていくための「判断力」が身についたから
ただの自信なさげな10才の少女だった彼女が、わずか数日ながらも色んな環境にもまれ成長していく中で、
表面的なものに惑わされない
判断力や洞察力がついたと考える事も出来ます。
③銭婆からもらった髪どめの力
銭婆が彼女に髪どめを渡す時、「みんなでつむいだ糸を編み込んであるからね」と、ちょっと含みを持たせた言い方で渡しています。
そしてその後、
ハクが「コハク川」だということも
なぜか彼女は思い出すことができた訳です。
これは、
あの世界の呪縛を解くような特殊な力があったからかもしれません。
これは、基本的には「③髪どめの力」という考えが自然だと思っています。
でも、「②判断力」も確実に身についたと感じられるので
それゆえに銭婆はそれを渡したとも解釈できます。
終わりに
僕は「この解釈だけが正解!」というものは基本的に無いと思っていて、人それぞれ、色んな捉え方ができるというのが
物語の良さだと思っています。
なので、みなさんそれぞれの解釈を大事にしてもらいたいです。
宮崎監督は「千尋と不思議な町」という著書の中で、
「テーマやメッセージというのは標語みたいなもので、
映画を作る現場にとっては意味の無いもの」
という旨のことをおっしゃっており、
さらに、映画作りのことを
「自分でもわからない、脳みその奥の方のふたを開けて、とおっしゃっています。
なぜこれが出てきたのかわからないっていうようなものを出す作業なんです。」
もしかしたら、監督自身の中にも明確な答えは無く、
自然に溢れてくるものを理屈ではなく表しているのかもしれません。
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以上です。読んでくれてありがとうございます。
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