引退試合について・現在の活動・
それと、かれのトレードマークでもあるハイキックの強さの秘訣を
3つにまとめました。
引退試合
アーツは、「これが引退試合です!」という試合は行われておらず、「体が続く限り闘う」というタイプの人。
なので、「事実上の引退試合」と言うことになりますが、
まず大きなイベントだと、
2014年5月にドバイで行われたグローバルFCでデューウィー・クーパーと対戦。
試合が始まって早々に右足にダメージを負ってしまい、
最後までキレのある攻めをすることができず、結果はドロー。
そして日本のイベントだと、規模は少々小さかったのですが
2014年10月、『2014全日本空手道選手権大会』にて
あの往年のライバル、アーネストホーストと対戦。
ホースト選手はなんとこれが復帰試合でした。
そして結果はホーストの判定勝ち。
僕も試合を見たのですが、
互いに40代、ピーク時の強さはお互いなかったかもしれませんが、
他の選手より数倍はあるであろう経験値と、
闘うことの素晴らしさを感じさせる熱い試合でした。
2014年以降は新生K-1が日本で復活し
新しい盛り上がりを見せているのですが、
90年代からK-1をメジャーなジャンルに引き上げてくれたアーツには、
イチ格闘技ファンとして頭が下がる想いです。
なお、2013年にGRORYという団体で
「引退試合」と銘打って行われたことがあったのですが、
それはピーターサイドの意見ではなく、
プロモーターの方で「日本で最後の試合としてPRさせてほしい」
と言う打診があり、それを彼が承諾したという経緯があり、
本当の引退とは異なるということを付け加えておきます。
現在は、アマチュア格闘家育成に励んでいる
近年の彼の活動ですが、2015年より「PETER AERTS SPIRIT」という、
アマチュアの格闘家が出場する大会の主催者の1人として活動されています。
元k-1プロデューサーの谷川さんもメンバーの一人で、
今後の有望な若手の発掘が期待されます。
また、彼の娘さんもキックボクシングをやっていて、
「将来的には自分がコーチをすることになるだろう」
という旨のコメントもしているので、
「親子での格闘技参戦」なんてのもありえますね!
あれだけ才能のかたまりのような存在だった彼の娘さんは
どれほどの選手になるのか、楽しみなところです。
アスリート全般に言えることですが、
そのジャンルの大変さと過酷さを知っているだけに
「子供にはこの競技をやらせたくない」という意見もよく聞きます。
魔裟斗さんはテレビ番組の中で
「娘には格闘技を絶対やらせない」
「顔が痛くてボコボコになるって、男でも嫌なのに!」
とおっしゃっていたのですが、
アーツ氏はその点肯定的なんですね。
考え方の違いって面白いものです。
アーツのハイキックの強さ
ピーターといえば戦慄のハイキック!ってイメージが強いのですが、彼がなぜ強かったのか、3つのポイントを自分なりにまとめてみました。
①コンビネーション
今となっては常識的なことなのですが、攻撃って単発で出しても中々当たることは無く、
コンビネーションを多用する事でガードがしにくくなるのです。
どんなに強い攻撃をしていても当たらなければ意味が無い。
流れの中で最後にハイキックを出す
という仕組みだからこそ、
蹴りでのKOを量産できたのです。
②体のパワー
ミルコ・クロコップ選手も上段蹴りの素晴らしい選手ですが、彼の場合は、スピードが速く、的確に急所をとらえるため
相手は見えないで当たることが多かったのですが、
アーツ選手の場合はそれとは違い、
接近戦でも力負けすることなく、相手の体を押しながら蹴るので
バランスを崩した相手は「見えてはいるけど避けられない」
状態になり、必然的にくらってしまうのです。
日本の澤屋敷選手がトーナメントで対戦した時は
彼はしっかりガードしていたにもかかわらず
ガードの上からのハイキックが効いてダウンを奪われましたし、
レミー・ボンヤスキー選手が戦った時も
解説の魔裟斗選手は
「さっきの試合(バダハリ戦)と違って、
アーツの攻撃が重くてレミーは攻撃を返せない」
と彼のパワーを認めていました。
そのくらいの圧倒的なパワーがあるのです。
③ハイキック以外の攻撃の強さ
彼が上段蹴りでKOをしたのは、KO決着の試合のうち、約4分の1程度。
つまり、大半はそれ以外の攻撃で倒しているのです。
もし彼が蹴りに重きを置きすぎて、
パンチや首相撲などを疎かにしている選手だったら
キックも読まれやすくなります。
「蹴りも強いけど、他の攻撃も強い」
と思われてるからこそなし得たことでもあるのです。
終わりに
こんなに長く闘っている人は、おそらくほとんどいないでしょう。
入場曲も覚えていますし、
観客を惹きつけることを意識しているエンターテイナーでもあったので
印象はとても強いです。
彼のスポーツマンとしてのキャリアの終盤は
K-1全盛期の頃より知っている人は少ないと思いますが
こんな素晴らしい人を最後まで見届けないのはもったいないことでもあります。
この記事を通して、
少しでも興味を持ってくれる人がいたら嬉しい限りです。
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