高齢者の方はもちろん、どなたでも気軽に解いてください。
昔を覚えている方は、あああんな事やこんな事もあったなーと思い出しながら、話のネタにしてください。
全9問
ではいきますね。Q1
昭和45年までは、公衆電話は10円を入れるだけで使い放題だった○か×か?
答え
○
ご存知の方も多いでしょうが、公衆電話は以前は10円で好きな時間話すことができました。
しかし、問題になったのは長電話をする人。
そういう人が増えてしまうと、電話をしたくてもできない人が増えてしまうため、やむなく3分10円に変更になりました。
長電話をされて迷惑だった人、長電話をしすぎて迷惑がられた人も、お近くにいるのでは?
Q2
「昭和」という元号に決まる前は「光文」という元号になる予定だった。○か×か?
答え
○
もともと「昭和」は第二候補であり、当初は「光文」になる予定でした。
しかし、発表する前に新聞がそれを報じたため、やっぱり変えようとなり、昭和になったのです。
国に関する大きなことですから、フライングで報道されるのは好ましくなかったわけですね。
Q3
昭和は64年までありました。その昭和64年は、たった37日しかなかった。○か×か?
答え
×
なんと、37日ではなく、たった7日間しかなかったんです。
64年間続いたこともすごいですが、7日しかなかった昭和というのも歴史の1つですね。
その年は、昭和天皇のお体を察して、新年のお祝いムードを出さないようにしている人も多くみられ、年賀状からは「寿」「おめでとう」などの言葉が無いものもありました。
天皇陛下の命にかかわることですから、厳粛な空気だったんですね。
Q4
日活映画の俳優さんの小林旭さん。彼が昔結婚していたお相手は、三田佳子さんである。
○か×か?
答え
×
彼は1962年、美空ひばりさんと同棲されていました。戸籍上は入籍していなかったため、正式には結婚ではありませんが、結婚に近い生活を送られていました。2年後には事実婚を解消され、お2人での生活を終えられました。
余談ですが、小林さんはその少し前に、浅丘ルリ子さんとも交際されていました。さすがモテる男性は違いますね。
Q5
1966年のビートルズ初来日、そのライブの前座を務めたのは、坂本九さんである。○か×か?
答え
×
1966年6月30日、前座を務めたのはなんと「ザ・ドリフターズ」。
当時のドリフはそこまで有名だったわけではなく、これをきっかけにドリフの認知度が上がっていきました。
そして前座といってもわずか1分15秒の出演。コミカルに歌い上げてさっそうと舞台からはけていきました。
当時は警備が厳しかったため、ビートルズと直接話すことはできず、舞台から降りた後に一瞬すれ違っただけだそうです。
それにしても、ドリフとビートルズってすごい豪華な組み合わせですね。
Q6
昭和の東京オリンピックでも大活躍した日本女子バレーチーム、通称「東洋の魔女」。このチームは、258連勝をしたことがある。
○か×か?
答え
○
1961年から66年までの約6年間、全ての試合に勝利したそうです。
オリンピックで一躍知名度が上がりましたが、その3年前から負けなしの強さを誇っていたんです。
現在の女子バレーも大変強いですが、ここまでの連勝はさすがに無いですよね。バレー界の意志杖を築いた存在といえます。
Q7
異種格闘技戦として行われた、プロレスラー、アントニオ猪木VSボクシングヘビー級チャンピオン、モハメドアリ。この勝負は、結局モハメドアリが勝利した。
○か×か?
答え
×
この試合は15分の戦いの末、引き分けに終わりました。
リングはプロレスのリングでしたが、純粋なプロレスルールではなく、タックルや投げ技、関節技などが禁止された独自のルール。
猪木選手は、アリを転倒させようとスライディングしたり、下に寝そべって足をけったりしましたが、結局膠着状態から大きく展開が動くことはなく、試合後お客さんからはブーイングが飛びました。
猪木さんからすれば、立った状態だと一発パンチをもらっただけで倒れてしまいますし、異種格闘技戦だと、どうしてもかみ合わない展開になることがありますが、これがそういう試合のパイオニアだったかもしれません。
Q8
渋谷の銅像にもなっている「忠犬ハチ公」、本当に実在したことでも有名です。あのハチ公の飼い主は、大学教授であった。
○か×か?
答え
○
現在の渋谷区に住んでいた大学教授、上野英三郎さんという方の愛犬であり、よく渋谷駅まで散歩していたそうです。
残念ながら、ハチを買い出した2年目に上野さんは他界。
その後、約10年間渋谷駅で彼を待ち続けたことで、忠犬ハチ公と名付けられたのです。
なんと健気で従順な動物なんでしょうね。
ハチの性格(?)の良さはもちろんですが、上野さんが本当に愛情をこめて育てていた結果なんでしょうね。
Q9
昭和に放映された映画の中で、日本での興行収入が最も高かった作品は、「南極物語」である。○か×か?
答え
×
昭和作品でもっとも興行収入が高かったのは、1982年に公開された「E.T.」。
約135億円を売り上げるヒットでした。その後平成に入り、ジブリ作品やハリーポッターなどがそれを上回るヒットをしましたが、昭和のナンバーワンヒットはET。ちょっと意外じゃなかったですか?
ちなみに南極物語は110億円でした。
終わりに
いかがだったでしょうか。クイズを楽しみながら、昭和の懐かしい記憶が甦って来たでしょうか。
当時は覚えていたんだけど、時間が経つとすっかり忘れてしまう思い出も多いですよね。「あの頃はこんなことがあって」なんてことを思い出しながら解いてもらえたなら嬉しい限りです。
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トモブログのクイズ記事でした。
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