全部で9問用意しました。
選択形式ですし、専門知識は必要ありませんので、
どなたでもチャレンジしてみてください。
全9問
では行きますね。Q1
鑑真が日本に仏教を伝えるため、航海をしたのですが、何度目の航海で日本にたどり着いた?
①1回目
②3回目
③6回目
④9回目
答え
③6回目
742年から、実に約12年に渡り航海を繰り返し、途中盲目にもなりましたが、
753年12月、6回目のチャレンジで日本に上陸することに成功。
その後、日本最初の授戒をしました。
今は船や飛行機があるので、至極安全に日本と中国を行き来することができますが、
当時は目が見えなくなるほどのリスクを背負っての旅だったのですね。
それでも志を曲げなかった鑑真は、本当に心の強い人です。
Q2
「紫式部」という名前の由来は?①源氏物語の中の「紫の上」の名をとった
②単純に紫色が好きだった
③代々、紫色の着物を引き継いで着ていた
④当時、一番格の高い人間が着る服の色が紫だった
答え
①源氏物語の名をとった
作中の人物の名前からとったものでした。
ちなみに「紫の上」という名前は、
古今集の雑歌に出てきたキャラクターからとったもの。
昔の人物名ですから、現在とは名前の雰囲気は違って当然ですが、
それにしても「紫」って苗字はだいぶインパクトありますね。
Q3
源頼朝は、13歳の時に平清盛に敗れ、伊豆に流されてしまったのですが、その時命を救ってくれた人物は?
①後の妻、北条政子
②北条政子の父、北条時政
③敵の平清盛の義理の母
④平清盛
答え
③平清盛の義理の母
頼朝は、本来は命を終えるところを、義母、池禅尼(いけのぜんに)の言葉を受け入れて、清盛も命を助けました。
もちろん、清盛優しい!という見方もできますし、
何やってんねん!と突っ込むこともできますが、
助けた一番の理由は「源氏をその時は甘く見ていた」というのが一番の理由でした。
非常に徹していれば、歴史は変わっていたのかもしれませんね。
Q4
日本の山水画を完成させた画家、「雪舟」。彼がほかにどんな偉業を残した?
①明(現在の中国)の皇帝が日本に帰さなかった
②明から多くの人間が弟子になった。
③北京の官庁の壁画を担当
④千利休が、彼の絵を100点以上買った
答え
③北京の官庁の壁画を担当
日本人で、そのようなものに任命されるのは、
当時ではかなり珍しいこと。
まさに偉業を成し遂げた絵師といえます。
彼が亡くなった約400年後、世界の文化巨匠に指名されました。
Q5
織田信長を打ちやぶった「明智光秀」ですが、豊臣秀吉に敗れるまで、何日間天下をとっていた?
①1日
②3日
③11日
④33日
答え
③11日
天下を取ったのもつかの間、すぐに秀吉の大軍と戦うことになりました。
光秀は、日数的に戦いの準備が整わなかったことに加え、本来仲間になってくれるはずの軍が動いてくれず、ごく少数の一族のみでの戦いを強いられてしまったのです。
秀吉からしたら、まだ手が薄い今こそチャンス!
と思ったことでしょう。
本当の闘いは、天下を取ってから始まるのですね。
Q6
徳川家康は、織田信長も豊臣秀吉もなっていない「征夷大将軍」になっています。なぜ家康はなれたのでしょう?
①由緒ある家系に生まれていたから
②大臣たちを裏で脅していたから
③公家や天皇に贈り物を贈っていたから
④源氏の女性と結婚したから
答え
③公家や天皇に贈り物を贈った
おっとりした性格で知られる家康ですが、
征夷大将軍になるにもその優しさが垣間見れます。
もちろん、贈り物を贈れば誰でも役職に就けるわけではなく、
ほかにも足利家からカブトや太刀をもらっており、大将軍になるにふさわしいと判断されたためですが、
それにしても命を削りあう戦国の世で、物を贈って位につくというのは彼の人柄が表れています。
Q7
黒船で来航したペリーに日本の強さを見せるため、日本は何をした?
①大砲を打っておどした
②当時の力士を大勢集めた
③1000人以上の大軍を並べた
④100匹以上の訓練された犬を並べた
答え
②当時の力士を大勢集めた
ペリーらは、日本に蒸気機関車の模型や電信機を贈り、
それが悔しかった日本幕府は、
江戸の力士達を呼んで、船に米俵を軽々運ばせるパフォーマンスのようなことをし、
力強さをアピールしました。
Q8
「勝海舟」が江戸城総攻撃の前夜、その戦を止めるため談判した人物は?
①坂本龍馬
②西郷隆盛
③桂小五郎
④板垣退助
答え
②西郷隆盛
当時東征大総督であった西郷に直談判をして、
見事無血で江戸城の明け渡しを成功させたのです。
勝海舟は剣術や兵学をまなんでいるひとでしたが、
誰かを傷つけるためのものではなく、
より良い交渉をするためにもつかわれたのです。
Q9
夏目漱石は、ある職業を投げうって、新聞社員・そしてそこの専属の小説家になり、数々の名作を世に送りました。では最初のなげうった職業は何?
①国会議員
②大学講師
③出版社社長
④歌舞伎役者
答え
②大学講師
彼は東京帝国大学の英文科に進み、卒業後は中学・高校の教壇に立ち、その後東京帝国大学で、日本人初の講師になりました。
そんな成功した経歴を持ちながらも、文章の道に進むため新聞社に勤めたのです。
いつの時代も、夢を追う人間のパワーとはすごいものです。
終わりに
いかがでしたでしょうか。誰もが知っている偉人ばかりをピックアップしましたが、
細かい部分については知らないことも多かったと思います。
教科書には書いていない豆知識や、書いてあったかもしれないけど太字にはなっていないような文面にも、歴史の大きな足跡があるものです。
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